令和7年3月23日(日)、今年も、郷分町 草木地区にて、今年39回目となる『腰無し地蔵まつり』が開催されました。甘酒の振る舞いもあり、鯉のぼりも揚げられ、佐道先生の旧山陽道の由来に関わる講演も聞かせていただきました。「腰無し地蔵」と名付けられたのは、昭和62年3月のこと。当時、郷分草木排水対策委員会の委員長を努めていた、佐道白一さんが命名されたそうです。腰無し地蔵曰く、「昔むかし、私は芦田川堤防を大阪方面へ向けて旅をしておりましたが、たまたま二本松の下で足腰の病で倒れ、この地域の人々の手厚い看護の甲斐もなく、あの世へ旅立ちました。人々は私を哀れみ、二本松の下に地蔵として祭祀してくださいましたが、大正八年、福山大水害の時に堤防が決壊し、松の木と共に押し流され、現在の溜池の土中に六十五年間埋まっておりました。いつか日輪を見たいと願っておりましたところ、工事関係者のお力で掘り出していただき、再びこの地に祭祀くださり、誠に有難いことです。ご参拝くださる方々には幸福をお分けします。」合掌 昭和62年3月 郷分草木排水対策委員会 代表佐道白一 記。皆さま、芦田川土手のつくし採りにお越しいただき、郷分排水機場のすぐ隣にある『腰無し地蔵』に是非お寄りいただければと思います(*^-^*)。